· 

昔の富士市-1

ふと、地元のことを考えてみました。

小さなころ家の前には川があり、川底は砂利や割れたガラス瓶がありましたが、夏に素足で川に入り遊んでいました。
時にはネズミの死骸が流れてきたり、今ではあり得ない状態でした。

潤井川も今ほどきれいではありませんでしたが、川に入り遊んでいました。

富士川はやはり今ほどきれいではないのですが、泳いだりハゼを釣ったりし素揚げにして食べていました。

田子の浦港はヘドロでとても臭く、潤井川の港への場所もヘドロがあり、自由研究で素手でヘドロを触ったりしていました。

それでも小学校の水は井戸水で富士山の雪解け水である地下水はホントに美味しい水を飲んでいました。

 

富士市は高度成長と共に、工場が増え公害の街になりました。

高速道路で東京へ行くと富士川を渡ると臭いと友人からも言われていました。

小学生の頃、私は富士市の公害認定患者でした。

今でも喘息があり、コントロールできているうちは平気ですが、喘息は死に直結する病気です。

 

今の富士市はどうでしょうか。

富士川や潤井川も整備され、きれいな川が戻ってきました。

そして今は、昔のような大気汚染もなく喘息発作も少なく日常は普通に暮らせます。

公害の街と言われた富士の街も改善されてきました。

 

当時の方々が、「これではダメだ」って考えて実行してくれた結果だと私は思います。

そして、今、私たちは未来の富士市のみなさんに同じ思いをもってもらえる行動をしているのでしょうか。

 

便利な社会に慣れてしまった私たちは、例えばプラスチックを使わないことはできません。

使うのをやめるのではなく、必要な分だけ使い、使ったものを焼却や埋め立てするのでなく、

再利用することでこの便利な社会が続くのかもしれません。

そして、新たな技術開発によりプラスチックに代わる新しい製品が生まれてくると思います。

 

明日の私たちではなく、30年後50年後の未来の子供たちのために

私たちは「今」、Actionを起こす必要があるのです。

食べ残しをしない、必要なものを買う、使ったものは適正な処分する・・・

こんなことを1人が考えて実行し、それを100人が、さらに1000人が・・・

1人の行動が地域に、市内に、県内に、中部地方に、日本に、アジアに、世界に、

地球規模になっていくのです。

 

もう一度、考えてみてください。

2030年そんな未来の事・・・もう遠い未来ではありません。

私がSDGsに取り組むのはそんな思いからです。